倉敷市 塾 AEI若竹塾 寺西ブログ#7
2022/08/18
高校生の時、現代文の教科書で読んだ夏目漱石の「こころ」が
今でもずっと心に残っています。
教科書で出会ってから文庫で全文を読みましたし、
解釈本もいくつか読みました。
「私」と「お嬢さん」が後に結婚している
という解釈もあって驚きました。
また村上春樹の「ノルウェイの森」と同じ構造だという読みも興味深いです。
Kとキズキが同じ役割なのです。
最近「こころ」の英訳版を手に入れたので、
一節を紹介します。
お嬢さんをめぐる、先生とKの駆け引きのところです。
漱石の「こころ」の発表は100年以上前の1914年。
今回の訳は、近藤いね子の昭和16年(1941年)の訳です。
言葉というのは長い年月を経ても想いを伝えるのだなと感じ、
一方で確実に変化もするものだなと気付かされます。
He was a very obstinate man, as I have said again and again;
but on the other hand, so honest
that he could not but care
if his contradictions were pointed out and severely reproved.
When I perceived the full consequence of my speech, I was finally reassured.
Then suddenly he asked, “Resolution?”
and before I replied, added,
“Resolution—yes, I have still some resolution.”
His tone was like a soliloquy,
or the words uttered in a dream.
「彼はいつも話す通り頗る強情な男でしたけれども、
一方ではまた人一倍の正直者でしたから、
自分の矛盾などをひどく非難される場合には、
決して平気でいられない質だったのです。
私は彼の様子を見てようやく安心しました。
すると彼は卒然「覚悟?」と聞きました。
そうして私がまだ何とも答えない先に
「覚悟、――覚悟ならない事もない」と付け加えました。
彼の調子は独言のようでした。
また夢の中の言葉のようでした。」
まるで映画のシーンのような詩的な場面です。
後にKはこの覚悟が本物であることを、最も悲しい形で証明するわけです。